【読書記録】うちの親は「毒親」?わからない場合には読んでみてほしい本

前回の読書記録

「うちの親は毒親というほどでもないのかな…」

ここ数年で誰もが知る言葉になった、「毒親」。

この言葉のおかげで、「自分の親が私にとっては毒だった」と認めることができ、救われた気持ちになった人も多いのではないでしょうか。

もちろん私もその一人です。

でも、私の場合、「母は確かに自分勝手でわがままだったけど、毒親って言うほどでは…ない、のかな〜…」

と言う煮え切らない気持ちも同時に感じていました。

なぜなら、よくテレビやエッセイで見かけるような「ひどい毒親」に比べると、我が家の母はかなり普通の母親だからです。

衣食住で困ったこともないし、暴力などといった虐待も受けたことはない。

毒親のエピソードとしてよく耳にする、生理用品やブラジャーを買ってくれない、などもないし。

家族旅行やお出かけも頻繁に行って、大学まで行かせてもらいました。

こうなると、勝手に周囲の声が聞こえるようです…


「親のことを悪く言って…なんて親不孝な娘なの」

「結局親に感謝できていないってことは、自分が大人になれていないだけなんだよ。自立している人間は親のせいになんてしないからね。」


…はい、勝手な被害妄想です^^;

でもこういう意見もよく聞きますよね。我が家を外側からしか知らない人なら、こう思われても仕方ないんだろうな、とも思います。

私の場合、誰もが聞いて「そりゃひどい親だ!」と言うような毒エピソードはありません。

だけど、母の考え方や関わりを通じて、これまで母から何やら重い荷物を持たされてきたな…という感覚は確かにありました。

かと言ってそれは毒親と言えるほどなのか…、よくわからずにいました。

毒親かどうかの判断基準

その疑問に応えてくれるように、明確な回答をこちらの本で示してもらいました。

「毒親」の正体―精神科医の診察室から―
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本書では、「毒親」を、「子どもの不安定な愛着スタイルの基盤を作る親」と定義づけたいと思います。多くの人にとって、「親」は初めて関わる大人であり、愛着形成にとってとても重要な幼い時期に最も身近にいる人だからです。

p29

精神科医として、多くの親子を診てきた水島広子先生が、「本書では」という限定されたものではありますが、これまでぼんやりとメディアによって紹介されていた「毒親」をこのように定義づけてくれました。

「愛着スタイル」って何?という方も多いと思います。

愛着スタイルには安定型と不安定型があるのですが、著者は安定型についてこう説明しています。

【安定型の愛着スタイル】

自分が求めるときには「母親的役割」の人が、愛情を提供してくれる、という育ち方をした人。子どもはその安定的なつながりを「安全基地」として、冒険しながら自分の世界を広げていくことができる。

p25ー26

逆に不安定な愛着スタイルは、「不安型」「回避型」とがあります。

【不安型(とらわれ型)の愛着スタイル】

自分が求めたときに「母親的役割」に人が、温かく助けてくれることもあれば、冷たく突き放されることもある、という不安定な環境で育った人。(中略)大人になってからも「相手に見捨てられるのではないか」というような不安を感情の基本に持つようになり、相手との関係維持のために不適切な言動をとることにもつながる。

p26

【回避型(愛着軽視型)の愛着スタイル】

「母親的役割」の人がいない、あるいはいてもあまり気にかけてくれず、情緒的やりとりがほとんどない環境で育った人。人と人との交流から得られるものを知らずに育っているため、助けを求めるという習慣がなく、大人になってからも、自らの不遇を人に相談するという発想が出てこない。

p26

以前のブログでも愛着スタイルについて詳しく書いています!
 (こちらで紹介した本では、不安定な愛着スタイルを4つに分類していて、個人的にはこちらの方がしっくりきます)

母が「安全基地」ではなかった話を以前漫画にも描きました。

この定義のおかげで、私ははっきりと「そうか、うちの母は毒親と言えるのか…」と思えました^^;

母が私にとって不安を感じさせる存在であり、実際私は不安定な愛着スタイルを持っているからです。

虐待があったから毒親、というわけではなく、
愛着スタイルが不安定になったかどうかで毒親とする、という考えは、

「うちの親は社会的にちゃんとしているし、私も人並みに面倒みてもらった。私自身はなぜか生き辛いけど…」
「言うほどひどいことをされてるわけではないけど、親がしんどい」

という人(私を含む)には、より救いになる考えのように思います。

「一人っ子」はきつい

一人っ子というと、「甘やかされて育ってる」「わがまま」なイメージが多いですが、私はまだ一度もそんな典型的な一人っ子には会ったことがありません(笑)
ですが思うのは、良いものにしろ悪いものにしろ、親がくれるものを全部自分で受け止めるしかないのが、一人っ子ということです。

この本では、一人っ子についてこう話しています。

「毒親」の影響が特にきつく表れるのは一人っ子だと思います。

p32

両親対子ども一人、あるいは親一人に子ども一人という家族構成が最も「親の言うことが絶対に正しい」という雰囲気を生むからです。

p32

「せめてきょうだいがいればよかった」
「家族以外の第三者が家に入り込むような環境であればよかった」
「毒親」の害を受けた人の話を聴く度に私が思うのはそういうことです。もしそうした要素があれば、理不尽な「その家庭のルール」(多くは親の精神状態によるもので、子どもにはルールが見えません。ルールがあれば、よほどましなのです)に振り回される度合いは少なくなったでしょう。

p33

一人っ子ならでは、の苦しみがあることを言語化してもらえて、私にとっては救われた気持ちになりました…!

とはいえ、兄弟がいたとしても仲が良いとは限らないし、親から兄弟間で比較される等、兄弟がいるからこその苦しみは絶対にあると思います。

ただ恐らくここで著者が言っていることは、
「家族の人数は多い方が、さらに言うとそこに他人が入ってこれる方が、親という存在の濃度が単純に薄まって自分への影響がより少なくなる」ということなのだと思います。

自分の親が「毒親」とわかったら

著者は、「毒親」に育てられた子どものための癒しのステップを5段階にわけて書いています。(詳しくは割愛します)

その中の最初のステップは、「自分は子どもとして不適切な環境で育った」「自分は悪くなかった」と認めることが何より重要としています。

そして、そのステップの妨げになることとして、以下のことを挙げています。

「毒親」を持つ人の中には、その実態を他人に話してみようとした、という体験を持つ人もいます。しかしその多くが、「親のことを悪く言うものではない」という姿勢によって、話を途中で遮られているようです。

p84

このような社会の価値観はやはり根強いですね。著者によると、なんと臨床現場でも患者にそう言う対応をする専門家がいるようで…
本の中で、下手にそういう専門家と関わるぐらいなら、愛着スタイルが安定している一般人と関わった方がよっぽどマシ!といったことがバシッと書かれていて、少し笑ってしまいました。

「親の自分への関わりは不適切だった」と気づくと、やはりそれを過去の記憶と照らし合わせて整理したくなるものです。現状、生きづらさを抱えているなら尚のことですよね。私の場合、ノートにひたすら親にされたことやその時の自分の気持ちなど書いていました。

著者は、「毒親」に育てられた子どもが親にされたことを語ることに対し、次のように説明しています。

 実際は、昔のことを蒸し返すのはとても大切なことです。過去にどんな対人関係を持っていたかが、その人が他人を見るときの「フィルター」を作るからです。
 ですから、治療の中で、過去の親子関係を聴くことは、「親のせいで…」というような人格攻撃のためでは決してなく、親のどのような言動が子どもの愛着スタイルにつながったか、親が子どもにどのようなトラウマ体験を与えたか、ということを知るためのことなのです。あるいは、親のどのような言動が、子どもを混乱させ、人間や人生をプラスに受け止めることができなくなったか、ということを知るためです。自分が受けた被害と、現在の自分の「症状」の相関を知ることは、子どもの人生に計り知れないプラスをもたらします。

p85

本当にその通りです…!
もちろん、親への行き場のない怒りなどを感じ、そのまま感情をぶつけたい気持ちになることはありますが、それよりも何よりも、

とにかく自分の生きづらさがどこから来たのか、どうしたら楽になるのかを知りたい!
という気持ちの方が強いです。

そのための作業を長い期間やっているのだと自分でも思います。

そしてもちろん、その先には自分がちゃんと親を乗り越えて成長したいという気持ちもあります。

親をどう、とらえ直すか

子どもの時、親は大きくとてもパワフルな存在に見えました。
大人になった今でも、親はいつまでも「親」として、その役割のフィルターを通して関わることが多く、そのことが親を一人の人として見つめることを難しくさせます。

親は果たしてどんな人間なんだろうか?
過去にどんな体験をして、どんなトラウマを持っているのか?
親は実は、心の病を抱えているのだろうか?

実際、著者が臨床で診てきた「毒親」には、診断が下りるケースが多くあったそうで…

どんな事情で、自分の親が「毒親」になったかを「知る」ことが大切なのです。診療の場で「毒親」を見てきた立場からすると、「毒親」を精神医学的に理解することは、驚くほどの効果を上げると言えます。
 今まで考えもしなかった親の「診断」を知ることによって、子どもは「自分は悪くなかった」という理解を確かなものにすると同時に、「厄介な親」との関わり方の指針を得ることもできるのです。これは場合によっては関係性の回復にもつながっていきます。

p16

「毒親」の精神医学的診断の詳細については、本をご覧ください。
(私の母も、これだな…という内容のものがありました。)

親を知ることの重要性について、「それって親の事情を知って、親のことを許しましょう、ってこと?」と抵抗を感じる人がいるかもしれませんが、著者ははっきりとこう言っています。

目的は、決して「親と仲よくすること」ではありません(中略)
目的は、自分自身の心が安らかになり、自己肯定できるような視点を見つけることなのです。

p17

親の事情を知ることで、自分の生きづらさの原因がより見えてくるようになるのだと思います。

だから、あくまで自分のため。

なんなら、親の事情を理解した上で「それでも親の事は許せない!!」でも別にいいと思いますしね^^;知りたくない人は知らないままでいいですし。

この毒親問題において、「こうすべき」ということはきっとないのだと思います。

親の性格も、自分の性格も、関係性も、全部人によってバラバラなので、その分対策も違うはずですから。

だから、今自分が一番楽になる考え方や行動をとってあげることが一番いいことなのではないかと思います。

そのためのアイディアを色々な本や人の体験談などから集めていって、自分用にカスタマイズしていきたいですね…!(私の体験談もそんな感じにご活用いただければ幸いです)

こちらの本の著者の水島広子先生は、親に対しても子に対しても、とてもフラットな目線を持っている方なのだなと読んでいて信頼できます。(他の著書も面白いので、記事に書くかもしれません!)
私のように親との関係に悩んでいる方は、ぜひ一度読んでみてはいかがでしょうか?

「毒親」の正体―精神科医の診察室から―
created by Rinker


それでは、ここまでお読みいただき、ありがとうございました^^

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