【読書記録】「生まれた時代のせいで生きづらい」というのは確実にある。

私は時々本を読むのですが、すぐに内容を忘れてしまいます…^^;
そのため読んで良かった本はこちらにご紹介しつつ、
自分の備忘録ともさせていただきたいと思います…!

世代の痛み 団塊ジュニアから団塊への質問状
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今回こちらの本が気になって読んでみました。

自分と母との関係を考えるようになってから、

「これは母だけの問題じゃなく、少なくとも母の母(私の祖母)から世代を越えてずっとつながってる問題なんだろうな…」

と思うようになっていました。

母自身も祖母との関係で傷ついていたからです。

そんなふうに世代間連鎖を考えた時に、

母なら母の、祖母なら祖母の生きた時代の背景を知りたいと思うようになりました。

コロナ禍を経験して、時代が一瞬で様変わりすることを体験しました。
以前の価値観が、あっという間に通用しなくなりました。
コロナ以外でも、例えばLGBTQや多様性への考え方は、ここ数年で随分様変わりしました。

ほんの数年でこの変化なので、何十年も前の時代であれば相当違う社会なんだろうな…と思うわけです。

何しろ私の祖父母世代は第二次世界大戦を経験してますから…!
(そう思うと戦争ってすごく最近のことだったんだと思います)

その後も高度経済成長やバブルなど、日本の価値観が変化した出来事はたくさんあり、
私の母もその多くを経験してきました。

その時代の日本はどんな社会で、どんな価値観や考え方を持って人々は生きてきたのか。
そしてそれは私たちの世代とどの程度違うものなのか。
それを知ることは親子間の噛み合わなさを知る上で役に立つんじゃないかな?と思い、今回世代間の社会の違いについて話しているこの本を選んでみました。
(前置きなが!)

こちらの本は、
団塊の世代である社会学者の上野千鶴子さんと、団塊ジュニア世代の作家・雨宮処凛さんが対談形式でそれぞれの世代の考え方を話し合い、時代の問題についてそれぞれの目線で考えています。

雨宮さんは、第二次ベビーブーム世代という、同い年の子どもがたくさんいる世代に生まれ、
子供の頃はいわゆるお受験戦争真っ只中。
親や先生に「いい高校、いい大学」へ行くことを求められ、
常に競争を強いられてきたと感じていたようです。

(雨宮)「受験に落ちたら死ぬ」みたいな感じでしたね。
そのなかで競争を煽られながらも、仲良くしろ、友情が大事だと言われる。矛盾してますよね。あまりにも競争を煽られると、劣っている奴は排除していいというメッセージとして受け取ってしまう。教師の言っていることを突き詰めると、ダメなやつはいじめていいんだ、ということになる。努力していないんだから、と。
その結果、なんの悪気もなく、いじめが次々と連鎖していきました。

p46

壮絶な息苦しさが伝わってきます…

この世代は学生時代は必死に勉強したにもかかわらず、いざ社会人となった瞬間に就職氷河期を迎え、多くの人が仕事に就きたくても就くことができなかったという、近年まれにみる不遇な世代です。
雨宮さんも仕事先が見つからず、フリーターとして過ごしていたそうです。
少数の椅子取りゲームに勝った人は正社員になり稼ぐ。それ以外は非正規雇用を余儀なくされる。
同世代格差が今までになく開いた時代だったようです。
現代もこの流れは続いてますね…

衝撃だったのは、行き場のないエネルギーを発散させる場所がなく、信じられる価値観も見失った雨宮さんが、当時地下鉄サリン事件で世の中を震撼させたオウム真理教に惹かれ、自分も洗脳してもらいたいと思ったということ…!

(雨宮)教育の場や親から言われ続けてきた「頑張れば報われる」という価値観は、自分が社会に出るころにはバブル崩壊で嘘になっていたので、なんだ、大人が言うことは簡単に嘘になるんだと思ったんです。
オウム真理教は、拝金主義や物質主義を否定している。だから事件を起こした弟子の人たちは、わたしが嫌いなこの世の中を命がけで否定してくれている少し年上の人たちという、ヘンな憧れの存在になりました。

p21


大人の用意したレールを信じてずっと走っていたのに、そのレールはどこにもつながっていなかった。
一気に人生の意味を見失いそうな衝撃的な出来事です。
時代の価値観はわずか一世代で簡単に変わってしまうものなんですね。
いつの時代も、大人の言うことは信じすぎない方がいいのかも。


この時代、いじめや登校拒否、家庭内暴力なども社会問題化していたようです。
教師や親からの圧力に加え、横にいるライバルの多さで片時も気が抜けない状況だったのではないでしょうか。
現代では団塊ジュニアも40代となり、それでもなお非正規雇用者のまま、実家で年老いた団塊世代と暮らす…というケースは少なくないようです。
今でもこの世代の親子の殺人事件などは時々聞きますが、雨宮さんの悲痛な言葉を聞くと、同じような心理状態になっている人もいるのだろうと思います…
雨宮さんはこの世代の親子関係についてこのように語ります。

(雨宮)当時、アダルトチルドレンという言葉が流行ったんですが、いろんな問題が「親子関係」だけにされていた気がします。もちろん、純粋に親子問題で苦しむ人もいましたが、今思うと、90年代からの雇用破壊や競争の熾烈化と無関係だったという人は少数という気がします。

(上野)生きづらさは、雇用破壊など社会の問題ではなく、個人のメンタルの問題だと思われていたわけね。親の世代はもっとかんたんに就職できたから、その時の「常識」が凍結したまま変わっていない。時代が変わったことが理解できないんですね。

p50

親子関係、家族関係、はそのバックグラウンドである社会の状況に絶対に影響を受けてしまう。
それを「根性がないからだ」など、個人の問題だけにされてしまうのはつらいですよね。

上野さんは団塊世代の著者としては耳が痛いことも多かったのではないでしょうか…。
それでも団塊ジュニア世代に寄り添いつつ、あくまで客観的に団塊世代を語っておられます。

(上野)団塊世代は、頑張らなくても報われた世代なんです。自分の能力が高いからでも、人一倍努力したからでもなく、世代丸ごと親の世代より高学歴になれたし、生活水準も上昇した。経済が成長していく時代にたまたま生まれ合わせただけのことだから。

p51

そうなんですよね…!
私の両親は団塊よりも下の世代ではありますが、やはり子ども~若者時代にずっと昇り調子な日本を経験しているので考え方も基本楽観的ですし、今では考えられないいい保険にも入ってるようです(笑)
バブル崩壊前の話などを聞くと、やっぱり少しうらやましいですね。

現代では自分の両親と同じ水準の生活をすることは、難しい場合が多いのではないでしょうか。

この上野さんの回答に雨宮さんは感激しつつも、やはり親はそのように考えてはくれなかったようです…。

(雨宮)ところが親たちは、自分が普通に手に入れられたものを子どもたちが手に入れられないのはおかしい、と考えがちです。正規雇用、結婚子育て、ローンを組んだ家などを、なぜ子どもが持てないのかが理解できない。しかも90年代くらいから自己決定、自己責任の論理が広がっていったこともあり、親世代は、うまくいかないのは子どもの努力が足りないからだと言う。時代が変わってしまったのに気づいていないから、頑張れと尻を叩いてしまう。

p115

(雨宮)時代が激変してまったく違う景色を見ている親子が、社会の矛盾を背負って代理戦争をさせられている。社会問題や労働問題が、家庭という名の地下に潜っていると感じます


(上野)時代の変化をまったくわかっていない親と、すべて自己責任だと思って自分を責める子どもの組み合わせが、問題をより深刻にしているんですね。

p116

代理戦争、という考えが胸にドシンときました。
そして、現代にも確実にある自己責任論。

自己責任という言葉のイメージなのか、

「あんたがどうなっても誰も助けてくれないよ。あんたが悪いんだから。」

と言われているように感じます…。

最近多い「被害者を責める」風潮(痴漢被害者に「短いスカートをはいてるからだ」と言ったりする)も、この自己責任論からくるのでしょうか。

確かになんでもかんでも人のせいにしたり、社会のせいにするのはよくないとは思います。
でも自分が成長するためには、まず今の状態(環境、自分の心、身体)を客観的に把握する必要があるのではと思います。
特に心が傷ついている場合は、その傷つき体験を自分の中で整理し直すことが必要になるため、事実として「相手がこう言ってきた」「こういう社会だった」という言葉が出てくるのは仕方ないのではないでしょうか。
私もまさしくそうで、「母はこうだった」「こう言ってきた」とよく言っていますが、そこで終わりにするつもりではないです…^^;

毒母という言葉が話題になったので、親との関係の難しさはようやく少しずつ言える社会にはなってきたかもしれません。(それでもネットの中だけ…?)

一方で「社会が悪い」「日本政府は…」などの大きな主語は、世代での分断が大きいというか、40代くらいから(それこそ団塊ジュニア世代)下はあまり言わない印象です。
そのような話をしだすと途端に周りから煙たがられるかもしれません。
「社会のせいにばっかしてるけど、自分はどうなんだよ?」と言われかねないのでしょうか。
自己責任論がそれだけ蔓延しているということのかも…

だけど確実に社会や時代の影響を受けて、私たちは日々過ごしている。
今回の本を読んで、よりはっきりしました。世代間でこんなにも共有している価値観が違うのですから…

そう思ったら、自分の問題と一緒に社会の問題も見つめた方が、より正確に状況を捉えられるかもしれませんね。

だから「これに関しては社会のせいだな…私悪くないじゃん」と思う自分にもOKを出していいんだと思います。それを認められた上で、「じゃあ自分はどうしたい」とか、「何ができる」とか、そこで初めて見えてくるものがあるのではないかと思いました。

世代の痛み 団塊ジュニアから団塊への質問状
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団塊世代、団塊ジュニア世代でなくとも、現代の生きづらさにつながる要素の多くが団塊ジュニア世代から始まっているように思いました。(それこそスクールカーストとかもこのへんからかも)

長文の感想を最後までお読みいただきありがとうございました!

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